ビジネスマン奮闘白書「ハタラキモノ達の美学」
ビジネスマン奮闘白書「ハタラキモノ達の美学」

わたしを海に連れていって
 お前は将来、何をやりたいんだ――、と父親に詰め寄られたのは23歳のときだ。

 そのとき、山岡絵美は四つのバイトをかけ持ちしていた。海外で働きたくて、渡航費を貯めている最中だった。

 デパートの地下総菜売り場で売り子をするかたわら、駐車場の入車庫係、カニ料理専門店の仲居、そして事務のバイトをかけ持っていた。その合間を縫って自動車教習所にも通っていたから、土日もなく忙しく働いてはいた。

 父親はフランス料理のシェフをしていて、母親はビルメンテナンスの会社を経営していた。絵美はその一人娘。定職に就けとは言われなかったが、父親の手には就職情報誌が握られていて、それで絵美はかけ持ちしていたバイトを全て辞めて就職した。その就職情報誌に載っていたダイビングショップのスタッフである。

「わたしはいまダイビングインストラクターをやっていますが、もともとそんなつもりは全然なかったんです。本当になりたかったのはイルカのトレーナーで、子供のころからずっと憧れていたんです」
ビジネスマン奮闘白書「ハタラキモノ達の美学」その1
 生まれは長野県の安曇野になる。海のない県だ。小学四年生のとき、父親が店を移るにあわせて川崎市に転居するが、それまでは海水浴と言えば新潟県まで出かけるのが常だった。

 上越市にある水族館でイルカショーを見て以来、絵美はイルカの愛らしさにすっかり夢中になり、イルカのトレーナーになるのが少女時代からの夢になった。そのころはまだカナヅチだったにも関わらずである。

 高校の進路相談で、将来の希望に“イルカのトレーナー”と回答したら、真面目に答えろと叱られたほどだ。だが、彼女はいたって真剣だった。

 大学を受験するが、失敗して踏ん切りがついた。

 やっぱりイルカのトレーナーになろうと思い立って、全国の水族館という水族館に電話をかけ、募集の有無を訊いてまわった。が、彼女を採用してくれる水族館はひとつもなかったという。採用は、どうしても経験者や地元の人間が優先されるものらしい。

 しかし、気持ちはもうイルカのトレーナーに傾いている。浪人する気持ちも失せていた。

「こうなったら海外に行くしかないと思ったんです。海外の水族館は、どちらかと言うとボランティアに近いかたちで働いているスタッフも多く、そのぶん給料は安いんですが、比較的仕事も見つけやすいんです。でも、海外に行ったからと言ってすぐに水族館の仕事が見つかるわけでもないので、行ってからの当面の生活費と……、それ以前に渡航費を貯めなきゃと」

 バイトを始めた。横浜市にある八景島シーパラダイスの、切符切りの仕事だ。

 そこには水族館があり、イルカのショーもやっていた。彼女にすれば、少しでも大好きなイルカのそばで働きたかったのだろう。

 海開きが近づいたころ、その八景島シーパラダイスがショースタッフを募集した。

 イルカショーで、イルカと一緒に泳ぐ“お姉さん”である。応募基準は視力が両眼とも0.6以上、クロールで50メートル泳げればいいというもので、経験は問うていなかった。すかさず応募した。倍率は22倍だったが、彼女は採用された六人のうちのひとりに選ばれた。

「本当にわたしでいいのかなって気持ちのほうが強かったけど、あんなに楽しい仕事はなかったです。ショーのほうはイルカだけじゃなくてアシカとトドもあって、スタッフは調教補助と飼育係を兼ねていました。覚えなければならないこともたくさんあって、冬もウェットスーツで寒いんだけど、つらいと思ったことはないんです」

 ショーに出るようになったのは、採用から三か月ほど後のことで、それまでは特訓に次ぐ特訓だったらしい。最終的には水深七メートルまで素潜りで潜れる泳力が求められ、ダイビングと潜水士の資格も所得しなければならなかった。

 当時の八景島シーパラダイスにはイルカが15、6頭いて、まずは一頭一頭に馴染み、顔立ちや性格を覚えることが“イルカショーのお姉さん”の最初の仕事だ。次いでサインの出し方を覚える。水面から真っ直ぐに飛び出すジャンプを“棒ジャンプ”、いったん空中に飛び上がって前のめりに回転するジャンプを“サマーソルト”といった感じで、ジャンプにも数種類あり、それぞれにサインがあるのだそうだ。

「サインは本当は統一するんですが、八景島のイルカたちは別の水族館からきた子たちだったので、前の水族館で使っていたサインを出していたんです。だから一頭ずつみんなサインが違っていて、それを覚えるのがたいへんでした。でもイルカのほうがもう馴れていて、わたしのほうが助けられた……、というか、絶対になめられてました。こいつまだまだだなって思っていたのかもしれない。賢いんですよ、イルカって」
ビジネスマン奮闘白書「ハタラキモノ達の美学」その2
 ショーは一日に六回行なわれ、彼女たちはそれをローテーションでこなしていた。

 早番が午前八時半から午後六時半まで。遅番のときは正午から午後九時までが勤務時間になる。ショーに出ていないときは裏方にまわってイルカの世話と訓練だ。

 イルカの平均寿命は約60年くらいだというが、実年齢は死んでからでないとわからないのだそうだ。飼育されているイルカは死ぬと必ず解剖にまわされ、これは死因を特定するためでもあるが、そのとき歯の断面を見て年齢を計るらしい。断面には年輪のような輪が刻まれ、それがイルカの年齢を表しているとのことだ。

 在職中、死んだイルカの解剖に彼女も立ち会ったことがあるという。

 弱ってショーに出ることができなくなり、しかし昨日まで生きていたイルカが今日はその愛らしい顔を見せることなく、解剖台に載せられたときだけはしばらく食事も咽喉を通らなかった。イルカ好きの彼女に、大好きなイルカの死は少なからず衝撃だった。

 ショースタッフはいずれも契約で、一年ごとに契約を更新していた。絵美は、三年までは順調に更新を続けたが、その四回目はなかった。長らく続く景気低迷のあおりを受け、人員削減を余儀なくされたからだ。

 八景島シーパラダイスを辞めた彼女は、今度はイルカショーと飼育の経験もあり、すぐに他県にある水族館での採用が決まった。だが、彼女は半年でその水族館を退職する。退職は彼女から申し入れた。

「仕事そのものは嫌いじゃなかったし、できれば続けたかったんですけど、その……、経営者に、動物に対する愛情が感じられなかったんです。こんな人が生き物を飼育していていいのかと思うくらいでした」

 イルカも、風邪をひく。白血球の数が基準値以上に増えたり、逆に減りすぎれば体調を崩すのだ。そこは人間と同じだ。

 新しく勤めた水族館で飼育されていたイルカは、あきらかに変調をきたしていた。

 が、経営者は獣医に診せることをしなかった。自宅で飼えるペットと違い、イルカのような動物は診察や治療に手間がかかるぶん費用も高額で、また、処方箋や薬代が高くつくからである。経営者はその金を惜しんだ。絵美が頼み込んでも、首を縦に振ろうとはしなかったという。

「放置していたら弱り切ってしまうのはわかっているんですよ。だからこっそり……、獣医さんにお願いして、わたしの給料で薬を買ってイルカに飲ませていたんです。でもそんなことが毎月続くと、今度はわたしが生活できなくなってしまう。薬代だけで給料の半分以上になっちゃうんですよ」

 動物園や水族館のような施設は、自然に生きる動物たちを捕獲して“見せ物”にするところだ。それは、大草原を駆ける動物たちの野生を奪い、海洋を泳ぎまわる動物の自由を奪い、檻や水槽に閉じ込めるということでもある。

 動物たちの自由を奪った者たちは、だからこそ愛情を注ぎ、人並みならぬ努力をしなければならない。

 彼女は、その最低限の努力と費用を惜しむ経営者のもとで働く気にはなれなかった。

 そのまま放置していればイルカがどうなるかはわかりきっていて、でも、そのイルカを助けられない自分が嫌だった。このまま働いていたら動物を嫌いになりそうな自分がいて、それが何よりも嫌だったのだという。

 だから、辞表を提出した。

 それで、今度こそ海外に行くことを決意し、渡航費を貯めるためにかけ持ちで四つのバイトを始めた。お前は何をやりたいんだ、と父親に詰め寄られたのはそんなときだ。


*  *  *

 横浜市にあったダイビングショップに転職したのは、イルカショー時代にダイビングと潜水士の資格を取得していたからだ。今度は正社員としての採用である。

 バイトをかけ持ちしていたほうが収入は多く、そのぶん海外へも早く行けるはずだったが、ダイビングショップに勤めて意外なことに気づく。

「わたしは自分のことを動物好きの人嫌いだと思っていたんです。入社したころは、いずれは海外に行って水族館で働くつもりだったんですけど、ダイビングの仕事って、やってみると案外と面白いし楽しい。わたし、この仕事好きかもって。お休みの日には自分でも潜りに行くようになったし」
ビジネスマン奮闘白書「ハタラキモノ達の美学」その3
 当時、彼女が取得していたダイビングの資格は“オープンウォーター”と言って、初級のクラスだ。指導団体の規約によって若干の異なりはあるが、基本的にダイビングは潜った“本数”で昇級するシステムになっているとのことだ。

 ダイバーは一回のダイビングを一本と数えるが、たとえばオープンウォーターの資格を取ってから七本前後を潜るとスペシャルティダイバーになり、さらに12本潜ってアドバンスドオープンウォーターに昇格する。それからさらに22本潜ってマスターダイバーと呼ばれるランクになるが、ここまではまだアマチュアだ。ダイブコントロールスペシャリストというランクにあがって、やっとプロに至るらしい。

 彼女はさらにその上のインストラクタートレーナーの資格を取得しているが、プロの資格を取得するまでに、最短でも二、三年はかかるという。

「イルカショーのときは19歳だったし、ダイビングショップもそうだったんですが、わたしはどこに行っても最年少で、だからずっと受け身だったんですね。いじられキャラだったんです。でも、この仕事はお客さんを楽しませてあげなければいけない。ダイビングの楽しさを知ってもらう仕事なんです。その一方で、一歩間違うと大事故につながりかねない危険も伴っています。一瞬たりとも気を抜くことは許されないし、責任が重いぶん、受け身じゃいられないんです」

 ダイバーたちは、すぐ目の前に海があるダイビングショップを“現地”と呼び、海のない街なかにある店舗は“都市型”と呼び分けているらしい。絵美が勤めたダイビングショップは都市型で、だから潜りに行くときは週末の朝早くに参加者全員を店に集め、ワゴンに乗せて海に向かう。

 言うなれば日帰りのツアーだが、午前に一本、午後に一本潜って、再び店の前まで客を乗せて戻って解散がおおまかな流れだ。

「潜っている時間は一本でだいたい30分から一時間くらいです。朝七時に集合して夜の七時に解散しても、潜っている時間は二時間足らずです。潜っていない時間のほうが圧倒的に長いんですね。でも、潜っていない時間も楽しいと思ってもらえなければ、お客さんはダイビングを楽しめないと思うんです。だから、12時間なら12時間、最初から最後まで楽しんでもらえるようにするのがわたしたちの仕事なんです。インストラクターって、エンターテインメントの提供なんですよ」

 その一方で、命を預かるという一面もある。

「ダイビングは十歳からできるし、最近は高齢の方もダイビングを楽しみます。海はとても美しい世界を見せてくれるけれど、小さいから高齢者だからと言って容赦はしません。平等に美しい世界を見せてくれるぶん、怖さや危険性も平等です。真剣に遊ばないといけないレジャーであり、スポーツでもあるんです」

 それはイルカの調教も同じだ。

 ショーでは客を楽しませるが、イルカを飼育することも大切な仕事だからだ。エンターテインメントを提供し、生命を預かる仕事である。

 絵美は、ダイビングショップ在職中に恋もし、結婚もしている。相手の男性は、彼女が勤める以前からショップに出入りしていたアマチュアダイバーだ。

「わたしはお店に来るお客さんで、素敵だなって思っている男性がいて、主人は主人で別の女性ダイバーのことが好きだったみたいなんです。お互い片思いどおしで、わたしたちってダメだね、どうしたらうまくいくんだろうなんて相談しあっているうちに――」

 恋に落ちたらしい。
 ご主人は、理科系の大学院を出て、外資系のIT企業でソフト開発に携わっている。

「家でも、暇さえあればパソコンに向かっています。寝るときも、灯りを消すまでスマートフォンで何かかちゃかちゃやってます。わたしはパソコンが大の苦手で、うっかり変なところを押したら爆発するんじゃないかって思ってるくらいだから、ダイビングをしてなかったら絶対に知り合うことなんてなかったと思うんですよ」

 それでも、結婚から十年経ったいまでも手をつないで寝ているというから、夫婦仲はいいようだ。

 プロダイバーの資格も取得し、結婚もし、これからというときに、ダイビングショップをテナントしていた施設が閉鎖されることになった。それにあわせてショップも閉店したが、絵美は引き抜かれて神奈川県大和市にオープンしたダイビングショップの店長に就任する。26歳のときだ。

 熱海に本社を置くダイビングショップが関東進出を計画し、店舗を任せられる人材を捜していたらしい。

 ショップ名は絵美が決めてもいいということになり、彼女は店の名を『ピースドルフィン』とした。

 イルカである。
ビジネスマン奮闘白書「ハタラキモノ達の美学」その4

*  *  *

 ピースドルフィンの店長を任されて四年が経ったとき、彼女は、本社の社長にこう言い放った。

 わたしにこのお店をください――。

 30歳のときだ。

「本当は店舗ごと経営権を買い取ったんです。お店は子会社化していたんですが、本社の経営があまりうまくいってなくて、社長からピースドルフィンを閉めると言われたんですよ」

 だったらわたしが買います、と言ったのが真相だ。

「ダイビングショップって、結構あるように見えてそうでもないんです。特に都市型はそんなにあるわけじゃないので、お店がなくなると……、もちろんスタッフだって困るけど、いちばん困るのはお客さんなんです」

 前に勤めていたショップが閉店したとき、彼女はそれを痛感していた。

 ダイバーは、ショップが企画したツアーに参加して潜りに行くことが多い。だから自ずとつきあいも深くなるのだが、機材を買い換えたりウェットスーツを新調するときもショップを頼る。その店がなくなると、新しい店を探さなければならなくなるからだ。かといって、都市型の店舗はそうそう多くはない。なかには、それをきっかけにダイビングをやめてしまう人もいる。

「ダイビングって楽しいよ、興味があるならやってみないと誘っておいて、ピースドルフィンを閉じたら、わたしはまたお客さんを裏切ることになると思ったんですね。それだけはしたくなかった。お客さんを裏切るくらいなら、自分でやろうと」

 だから、店舗ごとピースドルフィンを買い取った。

 自己資金だけでは足りずに、ちょっと無理もした。ご主人も資金提供を申し出たが、それは断ったという。自分で持つ店だからだ。

「でもね、最初はもう不安だらけで……、雇われているぶんにはいいけれど、今度は社長になるわけでしょう。わたしに経営なんてできるのかって。そもそも、わたしなんかが社長になっていいんだろうかって悩みました。自分ひとりでは抱えきれなくなって、お客さんや周りの人にも相談したんです」

 そうしたら、まるで申し合わせでもしていたかのように、やっとか、という声が届いた。

 周囲は、いつまでも“雇われ店長”をやっていないでとっとと独立しろという目で見ていたらしい。だから、絵美が独立するのならいくらでもバックアップするとも彼らは言ってくれた。

 後押しする人たちのなかには、前のショップ時代からつきあいのあるダイバーも少なくなかったという。ダイバーたちのつながりや結びつきは必ずしも海の中だけではない。陸の上でも、信頼関係はきっとこんなふうに培われているのだ。

「社長業はたいへんだけど、わたしひとりだけじゃないと思えば、ものすごく気は楽です。いちばんいいのは、こんなことをやってみたいと思ったら、自分の判断でできることですよね。雇われていたときは、新しい企画でも、お客さんからのリクエストでも、いったんは本社に連絡して、返事を待たなければならなかった。いまは自分の判断でできるぶん、より積極的になれます。お客さんのリクエストにもすぐ応えられる」

 ピースドルフィンでは、フリースケジュールで潜るダイビングや、これからダイビングを始めたいと思う希望者のスクールの開講、カウンセリングの他に、期間は五月から十月と限定されるが、御蔵島(みくらじま)へのダイビングツアーを毎月のように開催している。
ビジネスマン奮闘白書「ハタラキモノ達の美学」その5
 東京から約200キロ、三宅島の南端に位置する御蔵島は、群れをなして回遊するイルかと触れあえることで知られた島だ。

 やっぱり、イルカなのである。

「イルカって、本来、同じ場所に居つかない生き物なんですが、御蔵島はずっと同じイルカが島の周りを泳いでいるので、ものすごく珍しいんです。日本でもそんなところは御蔵島しかないんですよ。もともと人懐っこいから、わたしたちを見つけると、遊んでぇって寄ってくるんです。初めて野生のイルカを見たときは、感激でマスクに涙が溜まったくらい」

 とても賢い生き物で、一度遊んでくれた人のことを覚えてもいるのだそうだ。

「ときどき流木をくわえてきて、あ、これで遊んでほしいんだなって思って手を出すと、すぅーと離れて行ったり……、あれって、わたしたちをからかってるんですよ。やーい、騙されたとか言って笑ってるんだと思う。でもね、イルカって本当に愛らしくて、可愛いの。特にね、生まれたての小っちゃい子供イルカなんて――」

 イルカの話が始まると止まらない。

 大好きなイルカと戯れているとき、そして、潜った海の中に広がる神秘的な世界は非現実的で、何度潜っても、そのたびに息を飲むほどの美しさに満ちているという。

「ふだん仕事をしていると、嫌なことがあったり、ストレスが溜まる人もいると思います。潜っている時間は30分から一時間で、ゆっくり潜っていくから中にいる時間は短いけれど、その時間は嫌なことや悩み事も忘れさせてくれる癒しの時間でもあるんです。海の中にも、四季があるんですよ」

 私は気圧の変化に弱いらしく、飛行機に乗っただけで耳の奥が痛くなる体質だ。それだとダイビングはできないと言われてきたが、彼女の話を聞いていると、ちょっと潜ってみたいような気になり、イルカと戯れている自分を想像してしまったりもする。

 何だか、とても楽しそうだ。

 ダイビングショップの経営者は、必ずと言っていいほど男性が多い業界らしい。

 その中にあって、彼女のような女性経営者は珍しいそうだ。彼女自身、自分以外の女性経営者を知らないという。穿った見方をすれば、男性社会なのだ。だからこそのサービスも彼女は用意している。

 たとえば、生理で急に潜れなくなった女性ダイバーへのケア。本来ならキャンセル料も派生するのだが、事情がわかっているだけに、絵美はキャンセル料を取らない。その代わり、次もまた一緒に潜りましょうと声をかける。

 これからダイビングを始める人や、まだ経験の浅い若い客へもそうだ。

 ダイビングは、機材を全て自前でそろえたら70万円近くにもなる金のかかるレジャーだ。たいがいの人はローンを組んで装備を揃えるが、彼女はその利子を取らない。その代わり、ダイビングを続けてねと言い、ローンを払い終えるのが三年後なら、その三年間でちゃんとしたダイバーに育ててやるからと約束する。だからうちは儲からないんですよー、とピースドルフィンの女性経営者は泣き笑いのような顔をするが。
ビジネスマン奮闘白書「ハタラキモノ達の美学」その6
 絵美は、これまでに2600本前後を潜っているという。都市型のダイビングインストラクターにしては、この数はきわめて多いほうに数えられる。

「この前、お友だちと盛り上がって、冗談交じりにちょっと計算してみたんですよ。そうしたら、わたしは34年の人生のうちの四か月を海の中で過ごしてきた計算になったんです」

 ということは、彼女は私たちよりも四か月も多く、美しい世界だけを見続けてきたことにもなる。

 もうすぐ風薫る五月――。

 陸の上では新緑が芽吹く季節だが、絵美にすれば、御蔵島ツアーが始まる季節だ。それは、今年もイルカと戯れる季節がきたということでもある。瑠璃色に輝く五月の海とイルカたちが彼女を待っている。

 イルカのトレーナーに憧れていた少女は、イルカが回遊するように、フリーターから経営者になり、またイルカと戯れる仕事に出会った。


(文中敬称略/取材協力・三井康宏)

写真/近藤陽介



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